きのみきのまま

30代で退職し、旦那の中国(広州)駐在に帯同した駐妻のブログ。旅行・グルメ・子育て・中国関連情報などについて、ゆる~く更新していきます。

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大手食品メーカーを退職した話!就活⇒内定⇒入社⇒国内営業⇒海外赴任⇒国内営業⇒産休・育休・復職!営業職としての10年間の振り返り!

2023年8月に某大手食品メーカーを退職しました。

現在は駐妻としてのんびりぐうたら生活を送ってるので、色々と忙しく過ごしていた会社員時代(就活〜在職期間10年間)の事を忘れないうちに振り返って記事にしようと思います。(仕事してた頃が懐かしすぎて、だいぶ美化されてるかもw)

就活

大学時代にリーマンショックによる不景気の中での就活で、何十社も受けたけど落とされまくって自信を失ったので、院試を受けて大学院に進学することにしました。今度は絶対失敗できないので、大学院在籍中は、1年間の海外インターンをしたり、TOEICの点数を上げたり、運転免許を取ったりと、履歴書の内容を充実させる活動に励みました。(全然真面目に研究してなかったw)

海外駐在できそうな企業で働きたかったので、商社や大手メーカーを受けていて、ちょうど某食品メーカーから内定をもらえたのでそこで働くことにしました。食品メーカーはほとんど受けてなかったので自分が食品メーカーで働くことになるとは思ってなかったのですが、昔から好きな会社だったし面接を受けていくにつれて会社の魅力を知って第一志望になってたので、そこで働けることになって嬉しかったです。

特に大学時代に就活失敗してるだけあって、内々定の電話が来た時は嬉し泣きしました。(ちなみに大学時代に受けた時は、ESで落とされて面接まで進まなかった会社w)

入社

入社式の少し前から泊りがけの研修が始まり、入社後も約2ヶ月は大阪にて研修がありました。私は実家から通ってたのですが、同期のほとんどは集団でレオパレスに泊まってたので、レオパレスに遊びに行って飲んだり、学生時代の延長のような生活をしていました。そして6月から配属が決まり、私は某地方都市へ。(実家を出たかったから大阪以外が良かったので、希望が通ったw)

国内営業1

最初に配属された部署は、地方の支店での営業でした。得意先(スーパーマーケット等)に、新商品や販促企画や棚割り等を提案するのがメインの仕事。仕事内容自体はさておき、社内はセクハラ・パワハラが蔓延っていたし、私が要領悪いのもあるけど毎日残業残業でめっちゃブラックな環境で、「社会人ってこんなんなのか」とちょっと失望したけど、社内の先輩後輩や、他メーカーの同期とは、しょっちゅう飲みに行ったり旅行に行ったり色んなイベントを企画したり、別の地方に配属になった同期達とも数ヶ月に1回旅行したりと、プライベートではまだまだ学生時代の延長って感じの生活でした。

得意先の人達とも休日も一緒にゴルフやカラオケに行ったりして、公私混同感はあったけど、若手はかわいがってもらえて、営業の右も左もわからない状態やったけど、ノリでなんとかやっていけた感じの3年間でしたw

国内営業2

その後、関東の某都市の営業所に異動になってからの1年間は、仕事に関してはもうノリでは通用しなくなったけど、上司や先輩達がめっちゃ優秀な人達やったので、そこで色々指導してもらえて営業としてのスキルがやっと少し身についたと思います◎セクハラ・パワハラもなく、有休も取りやすく、めっちゃホワイトな環境にびっくり(同じ会社でも部署や時期によってだいぶ違うんやね)。でも得意先に曲者がいて、女性やからってめっちゃ見下した発言されるし、プライベートでも友達もおらずボッチで、結構病んでたので、しょっちゅう当時付き合ってた彼氏に会いにタイに行ったり、姪っ子に会いに大阪の実家に帰ったり、東京まで出て友達と遊んだりしてました。(今考えると、1年しかいない事になるなら、もっとその地域を満喫しておけばよかった…。)

海外赴任(トレーニー)

元々海外で働きたいと思っていた私、社内公募でトレーニーとして1年間海外に赴任するポストがあったので手を挙げました。ほんまはタイに行きたかったけど、募集がなかったので、別の国のトレーニーに応募しました。すると人事部から「タイで働きたいなら、まず中国で経験を積んだ方がいいよ」と唆されて中国のトレーニーに応募することにしました。(中国への応募者が少なかったからあてがわれた説濃厚w)そして面接を受けて、めでたく中国の広州に赴任することになりました。

大学で第二外国語として中国語を選択していたものの、ほぼ忘れてるし、你好!谢谢!とあと少し喋れるぐらいのレベルだったので、まずは語学を習得しないとスタートラインにも立てないということで、最初の半年はほぼ出社しなくていいから中国語の勉強をしてHSK6級を取得するように言われました。毎日語学学校に通って、受験生のように勉強したおかげで無事HSK6級の合格ラインに達して、残りの半年は現地の営業の人達と一緒に得意先を回って、現地の営業のやり方を学んだり、色々企画を提案してみたりと、有意義に過ごしました。プライベートでも、退勤後や休日はスポーツに励み、サークル活動で旦那と知り合い付き合うことになりました。まさかこの1年間の赴任が人生のターニングポイントになるとは思ってませんでしたw

国内営業3

広州での1年の任期が終わってしまったので、名残惜しくも帰国。

そして次の異動先は東京本社の新規事業関連の部署(割と希望してた部署)でした。めちゃくちゃオシャレなオフィスやし、女子比率が高め(それまでは、営業の女子は私の他に1人いるかいないか程度やったから…)の部署で、今までとは全然違う環境でびっくりでした。EC関連の課で、個人で企業を担当するのではなく、チームで動く部署。最初は2人だけのチームだったのですが、またまた先輩からパワハラに遭うw(どうやら前任もパワハラに遭って休職したりしてたらしく、ストレス耐性のみでこのチームに入れられた説濃厚w)結局私もポンコツすぎて毎日先輩から詰められて、見かねた上司に部署内のもう1つのチームに入るように言われました。(当時はまだまだパワハラに耐えて頑張れると思ってたから、外されて悔しかったけど、今考えると、壊れる前に上司が救出してくれたのはありがたかったかも。)

隣のチームでは割と心おだやかに過ごしてたのですが、仕事の内容としては内勤ばっかりでつまらなかったです。

チームでやってる仕事の内容としてはおもしろかったけど、部署で一番下っ端だった(というか平社員が私だけだった)ので雑用的な仕事をやらないといけなくて、自分の担当企業を持ちたいなーと、もどかしかったです。

けどその年は結婚式・ハネムーンの準備などプライベートが充実してたので、そんなに気にならなかったw

国内営業4

翌年は、部内のもう1つの課に異動になりました。担当企業もたくさん持てたし、部署内には後輩がいたので、雑用的な仕事も減りました。国内営業の部署ではあるものの、スーパーマーケット等ではなく特殊なルートで商品を販売する部署だったので、得意先の特性に応じたオリジナリティーのある企画を提案できて楽しかったです。職場環境はホワイトで有給も取りやすく、3連休以上の休みがあると有給をくっつけてしょっちゅう広州に遊びに行ったりしてました。

そして半年後には、主任試験にも無事合格して、平社員から主任に昇格できたのですが、後輩が別の部署に異動になったので雑用的な仕事がまた私に大量に降り掛かってきました。その直後にはエース的な立ち位置の先輩が退職したため担当企業がかなり増え、さらに代わりに入ってきた中途入社の社員の教育係まで任され、年末の忙しい時期はてんやわんやでした。

産休・育休・復職

そんなこんなでバタバタと過ごしてた時に妊娠が発覚して、さらにはコロナ禍に突入して在宅勤務が始まりました。妊娠中に電車通勤しなくてよくなったのはありがたかったです。

在宅勤務にも慣れてきた頃、産休に突入。

息子が2歳になるまで育休をとらせてもらい、復職した後も時短にはしたくないけど残業もなしにしてほしいというワガママな希望をきいてもらえて、息子と2人でも無理なく生活できました。ホワイトな部署でよかった!

仕事内容や担当企業は産休に入る前とかぶっているものも多く、上司や同僚のサポートのおかげでスムーズに復職できたし、子育て一色の毎日から久しぶりに脱却して、楽しく仕事ができました。

退職

育休中にコロナ禍がだんだん収まっていき、ついにビザが取れたのですが、3ヶ月だけしか滞在できず、復職のため日本に帰ってきました。

さすがにずっと母子だけでの生活を続けていくのは無理があるし、少しでも早く広州に戻りたいなと思いながらの復職でした。

基本的に在宅勤務だったので、帯同しても働き続けられないかなーと相談しましたが、海外での在宅勤務は許可が下りなかったので、家族3人で過ごすために、そしてなるべく早く4人に増やしたいから妊活するためにも、泣く泣く退職することにしました。(欲張りなので、仕事も家庭も選びたかったけど、どっちもはできなかったので家庭を選んだ…)

退職しようと思った時期にちょうど全社的な一大プロジェクトがあったので、それがひと段落してから退職することになったので、結局まるまる1年日本に帰ってました。

まとめ

入社して11年目で退職しましたが、色々学んだし、色んな経験をさせてもらえて、たくさんのおもしろい人にも出会えたし、この会社で働いてよかったなーと思いました。

特に退職時の部署での仕事は楽しかったし、職場環境も良かったので、辞めるのは名残惜しかったです。

もう社員として戻ることはないと思うけど、食品メーカーやと商品のファンとして一生関わっていけるので嬉しい。

あと心残りなのは、入社時からタイに駐在したいなーと思いながら(そして社内でアピールしながら)過ごしてましたが、結局叶わずだったことです。若手の辛い時期を乗り越えてちょうど仕事が楽しくなってきた頃やチャンスが巡ってきた頃に、妊娠・出産や家庭の事情で休職や退職になっちゃうのは、女子あるあるやね〜。

帯同期間が終わったら、駐在できる仕事を探したいけど、ブランクあるし難しいのかなー。帯同期間終わった駐妻が駐在員になったとかいう話、あんまり聞いた事ないもんなー。

大企業じゃなくていいから、拾ってくれて、そしてタイに飛ばしてくれる会社あったらいいな〜。