きのみきのまま

30代で退職し、旦那の中国(広州)駐在に帯同した駐妻のブログ。旅行・グルメ・子育て・中国関連情報などについて、ゆる~く更新していきます。

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【海外で流産】流産発覚⇒経口中絶薬での処置(日帰り入院)⇒子宮内容物がなくなるまでの筋肉注射。メンタルどん底の日々の記録。

妊活の末、待望の第2子を妊娠しましたが、残念な事に流産してしまいました。日本だと流産した場合は掻把法や真空吸引法といった手術での処置が一般的だそうですが、広州に帯同中の妊娠・流産だったので、経口中絶薬での処置を選択しました。しばらくは心も体もズタボロの日々が続いたのですが、最近やっと落ち着いてきたので、当時のメモ等を見ながら記事にしようと思います。(精神的に病みすぎて、ほんの数ヶ月前の事なのに、当時の記憶あんまりない。)
※流産に関する詳しい記述があるので、苦手な方は読まないでください。

妊娠中

妊娠したので、病院に行き、妊婦検診を受けました。

その事に関する記事はこちら↓

初受診の時から切迫流産と言われていたので、注射を打ったり薬を飲んだり、色々な事を犠牲にして安静に過ごしたりと、できる限りの事はしていました。

ちょうどこの時期に祖母が危篤になり、親から「帰って来れる?」と連絡があったのですが、大事を取って帰国を諦め、祖母の死に目にも遭えず、お通夜やお葬式も欠席してしまいました。(今考えると、残念やったけど諦めておいてよかった。もし帰ってたら、実際は関係ないのに「あの時飛行機に乗ったせいで流産したのかも」と一生悔やんでた気がする。)

ちなみに年齢は30代後半なのでこちらの病院では高リスクだと言われてたけど、日本での高齢出産の定義は35歳以上で初産の場合なので、私は経産婦なので自分が高齢だという認識あんまりなかったし、30代後半の妊婦が流産する確率は約2割という事は知識では知ってても、まさか超健康体の私が流産するとは思ってませんでした。

つわりはしんどかったけど、赤ちゃんに会える日を楽しみにして毎日幸せでした。息子も弟か妹ができることを楽しみにしてるようでした。

流産発覚

前週(妊娠6週目)の検診で心拍が確認できたのでひとまず安心したし、つわりも毎日ひどくて赤ちゃんが育ってる証拠やなと思ってたので、「今回はどれぐらい大きくなってるかなぁ」と楽しみにしてました。

でも病院に行って、おなかのエコー、続いて膣エコーを受けた結果、心拍が無くなってると言われました。すぐには信じられず放心状態のまま部屋を出て、待合室で座ってる時にやっと実感が湧いてきて号泣。

問診室で泣きながら先生から色々説明を受けたけど、現実を受け止めきれなくて、何かの間違いやと思って、「時間をおいてもう1回検査してほしい」と言ったけど、「もう再度心臓が動くことはないし、心拍が止まってるのにずっと処置しなかったら体に悪いからすぐ処置しないといけない」と言われました。

手術(掻把法)で処置するか、薬(経口中絶薬)で処置するか選ぶことができ、手術だとすぐ終わるけど子宮に傷がつく可能性あり、薬だと薬で全部出てこなかった場合は結局手術をしないといけない可能性あり、と説明されました。
よくわからないけど手術は怖いし掻把法は痛いって聞いた事あるし、薬での処置を選択しました。
まずはミフェプリストンという薬を飲んで、2日後にミソプロストールという薬を飲めば出てくるらしい。

処置費用3,812元を支払い、血液検査・おりもの検査・心電図を終え、その合間に旦那に連絡して会社を早退してもらうことにして、薬をもらって早速病院でミフェプリストンを飲み、帰宅。

旦那が帰ってきて一緒に悲しんでくれると思いきや、「泣いても仕方ないやん」って他人事のように励まされて、余計に辛くなった。良かれと思って励ましてるんかもしれんけど、私と旦那の子供なのに私だけがこんなに悲しいのかなって孤独やった。

経口中絶薬での処置当日

流産の診断を受けた翌々日に、処置のため病院に行きました。

その日は旦那が在宅勤務にして、病院の前まで付き添ってくれました。旦那も病院に入って部屋で仕事してても良かったのですが、帰ると言われたので1人で院内へ。

エレベーターで2階に上がり、部屋に案内されました。

ソファもありテレビもあり、部屋としては満足。

でも通訳さんが「これ普通の出産の時も使う分娩台なんですけど~」とかって説明し出したので、「私もこんな状況じゃなく普通の出産でこの部屋使いたかったよ…」とか色々考えてまた号泣してしまいました。「ちょっとした事ですぐ泣くめんどくさい患者やなー私」とわかってはいるけど涙を止められなかった。

トイレには便座の上に青い容器が置いてあって、おしっこをする時は、胎嚢が出てきたら回収できるように便器じゃなくてその容器にして、何も出てこなかったらそのまま便器に流してくださいと言われました。

隣にシャワー室もあったけど、今回は日帰りなので使わず。

朝の8時45分にミソプロストールという薬を飲んで、胎嚢が出てくるまで待機。

暇すぎてずっとスマホ見たり旦那にwechat送ったりしながらだらだらしてたから、本でも持って来ればよかった。

「流産の処置は小さいお産やと思ってください」って言われてたけど、確かに出産した時と似てる。陣痛促進剤を打って陣痛が来るのを待ってた時と同じような状況。ただ気持ち的には、不安と共にあるのが希望じゃなくて絶望なので全く違うけど。

9時頃から少しおなかが痛くなってきました。

10時頃にぶどうを持って来てもらえて、美味しく食べました。

11時頃に出血し始めました。

12時までに出てこなかったらもう1度薬(ミソプロストール)を飲んで、15時までに出てこなかったらもう1回飲んで、それでも出てこなかったら帰宅して自宅で出てくるのを待つらしい。

12時前に昼食が出されたので、食べました。

思ったより美味しかったのですが、あんまり食べすぎないようにと言われたので半分ぐらい食べました。

そして、またお薬を飲むように言われて、飲んでから待機。

出血もひどくなってきて、生理の時よりもだいぶ大きい血の塊が出てきたので、「あれ、これってもう胎嚢出てきたのかな?」と思って通訳さんに連絡したけど、見てもらうと「こんなんじゃなくてもっと大きいのが出てくる」と言われました。胎嚢がどんなんか想像つかなかったw

14時ぐらいになると、痛みも強くなり、吐き気も強くなってきて、15時頃に透明の梅ゼリーみたいなのが出てきて、これが胎嚢やと一目でわかりました。

これが赤ちゃんとの最初で最後の対面やと思って、少し一緒に過ごしてから、通訳さんに連絡して先生を呼んでもらい、子宮収縮剤を注射され、15時半にエコーをして15時40分には帰宅しました。

染色体検査はするかどうか聞かれたけど、しない事にしました。

赤ちゃんとの最初で最後の対面だと思いつつ、胎嚢の中のどこに赤ちゃんがいるのかわからなくて、聞いてみると「このちょっと色が濃くなってる点です」と教えてくれて、きれいにした胎嚢の写真を撮らしてもらいました。小さすぎてよくわからなかったけど。エコーで見てたのは、こんなに小さな子やったのかとびっくり。

この子はこれからどうなるのか疑問だったので聞いてみると、検査もしないし流すと言われました。普通に水道に流すのかな?心がザワザワして、連れて帰りたい気持ちになったけど、引き取ったところでいつかはお別れをしないといけないわけで、その時に自分で処分できる気がしなかったので、何も言わずにその場でお別れしました。

帰りはタクシーで帰ったけど、そのタクシーが今まで乗ったどのタクシーよりも悪臭で、家に着くまでに吐きそうになりました。(自分の体調の問題か、運悪く悪臭タクシーを拾ってしまったか不明)

そしてその日は息子の保育園のお迎えは旦那がしてくれたので、ゆっくり休みました。

ちなみに事前に病院で経口中絶薬での処置の痛みはどれくらいか聞いたところ「生理痛の痛みを強くした感じ」と言われてたので、だいぶ覚悟してたけど、そこまで痛くなくて、普通の生理痛よりは痛いけど、重い生理痛よりはしんどくない(うずくまって動けないほどではない)ぐらいでした。

翌日には旦那の会社のBBQがあったけど、予定通り参加できました。(妊娠した事を伝えてた友達に体調聞かれたので早速流産した事を伝えて、メンタルやばかったけど、泣かずに頑張った。)

処置後の状況

「流産は小さなお産」と言われてたけど、何の準備もしてなかったので、悪露の事とか全く考えておらず、夜用ナプキンでしのぎました。でも出血がヤバくて服やソファが汚れたので、すぐに産褥パッドをネットで購入したけど、2,3日後には出血がマシになっていたので届いたのに使わずじまいでした。1週間後には出血量はだいぶ減って、2週間後にはほとんどなくなってた感じ。(出血が収まってからも1ヶ月以上尿漏れが続いたのでナプキン手放せなかったけど。ちょうどコロナに罹ったので、咳する度に尿漏れしてた。)

 

悪阻は処置から1週間経ってもまだなくならず、いつまで続くのかと思ってたけど、その後だんだん軽快していき、2週間経つ頃には吐き気はなくなっていました。

メンタルに関しては、流産が発覚してからしばらくは、外に出る時は頑張って普通に過ごしてたけど、毎日家では号泣してて、でも10日ぐらい経った頃に、コロナに罹って頭が痛くて何も考えられなくなった時期があったので、それで少し泣く時間が減って、そこから年末年始・春節とイベントごとが重なってたので、忙しく過ごしてるうちにだいぶ普通に過ごせるようになりました。

1週間後の検査

経口中絶薬での処置を終えてからは毎日、子宮内容物がきれいに排出されるための薬を飲み、1週間後に子宮の状態を確認するために通院が必要でした。

その頃メンタルが一番どん底でした。
検査の日に病院に行くまでの道を歩いていると、偶然中国人の友達に会って「どこ行くの?」と聞かれて「病院」と答えて「どうしたの?」みたいな流れで色々話してるうちに号泣してしまって、友達はちょっとした世間話のつもりやったやろうにめっちゃ気を遣わせてしまって申し訳なかったです。

病院に着くまでもずっと号泣してて(←不審者)、何とか病院に着いて落ち着いてから建物に入ったものの、病院には幸せそうな妊婦さんばっかりでめっちゃ辛くなりました。

膣エコーを終えて、子宮内の内容物はだいぶなくなってきてるもののまだ少し残ってるので、お薬は飲み続けてくださいと言われました。お薬代110.92元を支払って薬を受け取り、やっとの思いで病院を出ました。病院で我慢してた涙を流していると、また通訳さんから電話があって「やっぱり注射が必要だそうです」と言われて、やっと病院から出たのにまた病院に行くのが辛すぎて「どうしても注射しないといけませんか」と聞くと「じゃあもう1週間薬で様子を見てみましょう」と言われました。その日は旦那の誕生日だったので、ケーキやプレゼントを買いに行こうと思ってたけど、電車内でも号泣、ショッピングモールでも号泣して人と話せる状況じゃなかったので、結局何も買わずに帰ってきました。(←不審者w)

2週間後の検査

1週間薬を飲んで、「全部出てこいー!」と念じて迎えた検査。前週の私のメンタルがボロボロすぎたので、旦那も仕事を休んで付き添ってくれました。膣エコーの結果、やっぱりまだ少し残ってるみたいで注射が必要だということで、3日間注射を打ちに来ることになりました。薬代&注射代の789.22元を支払って、注射を打ってもらいました。妊娠中の筋肉注射も痛かったけど、流産の筋肉注射はもっと痛い。ただでさえ精神的に参ってるのに、こんな注射せなあかんのはまじで拷問やった…。

次の日は息子の保育園も休みだったので、旦那だけじゃなく息子も付き添ってくれました。前日と同じ注射やのに、前日よりもさらに痛かった。

その次の日も注射。旦那がぎっくり腰になったので、一人で通院。この注射、回数を重ねるごとに痛みが増すらしく、3回目ともなるとめちゃくちゃ痛かった。注射直後は、なんとか歩けるけど家まで帰るのは無理そうだったので、少し休んで痛みがマシになってきてから帰った。

これでひとまず流産の処置は終了らしく、しばらくはお薬だけ飲んで、次に生理が来た後に、子宮が綺麗に戻ってるかどうか再受診して診てもらうことになりました。

最後の検査

流産の処置から約1ヶ月後に生理が来ました。生理が終わってから受診して、膣エコーしてもらうと、生理で子宮内の内容物が全て綺麗に流れたということだったので、これでもう受診しなくてよくなりました。

お酒や運動も少しずつ再開してもいいとのことで、鬱々とした日々に終止符を打って、その日は早速頑張った自分へのご褒美としてGODIVAのチョコリキサーを飲んで、ランチには1人焼肉を楽しみました。

春節休みも晴れて迎えることができました。約1ヶ月実家に帰ったのですが、両親もなるべくその話題には触れずにいてくれたので、悲しいことは思い出さないようにして楽しい事に目を向けることができました。(祖母の死の件で、妊娠を両親に伝えてしまっていたので、流産した事を伝えないといけなくて無駄な心配をかけてしまった…)

ちなみに妊活については、もう1回生理が来るまでは避妊が必要で、それ以降は再開しても大丈夫とのことでした。通訳さんが色々妊活のアドバイスくれたので、とりあえず妊娠中に飲んでいた葉酸サプリに加えてコエンザイムQ10サプリも飲み始めました。コエンザイムQ10って美容のためのサプリかと思ってたけど、妊活にも効くとは知らなかった…。

それと、費用については、妊娠は保険適用外だけど、流産の場合は国民健康保険が適用になって3割負担で済むので、旦那の会社に言って書類をもらってくださいと通訳さんに言われました。引き続きWeChatで対応してくれるそうです。(旦那がまだ書類もらってこないので、この手続きはまだしてないけど。もう3ヶ月以上経つのに…)

まとめ

妊娠して幸せな気持ちから、一気に地獄に落とされる流産。身体的には、注射が激痛だったこと以外は、想像してたほど痛くなかったけど、精神的には辛すぎました。でもどれだけ落ち込んでても息子の世話はしないといけないし、息子はどんな時でも無邪気にそばにいてくれるので、それでだいぶ救われたし引きこもったままにならずに済みました。息子も息子なりに、赤ちゃんが死んでしまった事を理解したみたいで残念がってたし、早く弟か妹に会わせてあげたいなぁ。

とりあえず気持ち的にもひと段落がついて、ほぼ普通の生活ができるようになってきたので、その時の状況と気持ちを整理する意味でもブログにしたためました。

思い出したら必ず泣いてしまうけど、おなかの赤ちゃんと過ごせた事は幸せだったので忘れたくないし、泣きながらでもいつまでも思い出し続けたい記憶。悲しみが完全に癒えることは一生ないんやろなぁ。。。